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2016.12.04 » 3か月 前

李忠成の興奮冷めやらぬダイレクトボレー。アジアカップ優勝を決めた強烈なシュート!


鮮やかなボレーは健在。アジアカップ優勝の立役者、李忠成とは?

李忠成は、東京都田無市出身。Jリーグ浦和レッドダイヤモンズ(浦和レッズ)に所属する元日本代表のサッカー選手である。かつては韓国籍であったものの、親族の反対を押し切り日本国籍を取得。帰化したことで、日本代表としてのプレーが可能となった。

李忠成のポジション


李忠成のポジションはFW。日本人ストライカーとしては珍しい左利きのプレーヤーだ。ウイングとしてもプレーできる器用さも持っている。運動量が豊富で、俊敏な動きと闘争心溢れるプレーでゴールに迫る泥臭さが彼のウリだ。それでいて、ダイレクトボレーシュートをいくつも決めるなど、一振りでゴールネットをゆらすゴールゲッターとしての素質は当然日本トップクラス。

李忠成の生い立ち

李忠成は韓国国籍の在日韓国人4世として生まれた。父である李鉄泰は、かつて横浜トライスターSCでプレーしたサッカー選手であり、叔従父の金鍾成は元サッカー北朝鮮代表である。生まれながらにサッカーのDNAを持つサラブレッドであった。

4歳の時にサッカーを始め、2001年の高校入学と同時にFC東京U-18に加入した。在籍時は3年連続で国体東京都選抜に選ばれるなどその才能は早くから開花していた。2001年にはクラブユース選手権優勝、高円宮杯およびJユースカップ準優勝に輝いている。2002年には関東サッカーリーグ得点王に輝き、2003年にはプリンスリーグの優秀選手にも選ばれた。

李忠成の経歴

FC東京時代

2004年にFC東京のトップチームに昇格。韓国籍だっと当時にU-19韓国代表候補に選ばれ、トレーニングキャンプに参加している。しかし、FC東京では出場機会に恵まれず、わずか1年で退団した。

柏レイソル時代

2005年に柏レイソルへ完全移籍。翌年には「大舞台で得点し、世界に在日韓国人の可能性をアピールしたい」との思い出日本へ帰化し、日本代表デビューを果たした。この時親戚に猛反対を受けるものの、母親の後押しがあったそうだ。

サンフレッチェ広島時代


2009年にサンフレッチェ広島へと移籍。移籍初年度こそ活躍できなかったものの、翌年にはゴールを量産。AFCアジアカップ2011日本代表に選出され、決勝オーストラリア代表戦では試合終了間際に決勝点となる鮮やかなボレーシュートを決めている。この試合をみっていたサッカーファンは、誰もが拳を握り歓声をあげた瞬間なのではないだろうか。

サウサンプトンFC時代

2012年にイングランド2部のサウサンプトンFCへ完全移籍。2月18日のダービー・カウンティFC戦で移籍後初得点を決めた。このゴールがクラブの年間表彰式で年間最優秀ゴール賞に選出されている。

FC東京に復帰

2013年にFC東京へ期限付き移籍。エースナンバー「11」を背負うもののけがの影響から先発レギュラーになることはなかった。完全移籍を打診されるもこれを拒否。サウサンプトンへ戻り、その後契約満了による退団が発表された。

浦和レッズへ移籍

2014年に持ち前の得点力を買われて浦和レッズへ完全移籍。同年はチーム最多の敵陣空中戦数を記録した。2016年明治安田生命J1リーグ4月月間MVP受賞。5月8日のさいたまダービーでは待望のチャントもできた。2016シーズンは安定した活躍を見せ浦和年間勝ち点1位に大きく貢献した。残念ながらチャンンピオンシップ決勝では鹿島アントラーズに敗れ優勝には届かなかったものの、スーパーサブとしての彼の活躍を抜きに浦和の好成績を語ることはできない。

李忠成のプレースタイル

李忠成の最大の持ち味は泥臭く貪欲なゴールへの姿勢である。得点能力が高く、途中出場でも得点を奪う印象的なプレーが多い。ゴール前でのポジショニングが良く、フリーでシュートを打つことも多い。それでいて、密集地帯でボールをさばき、こぼれ玉を押し込むことも多々有る。

アジアカップで見せたダイレクトボレーシュートに代表されるように、ボレーシュートは彼のひとつの持ち味になっている。日本人選手には少ない「情熱的」な選手であり、彼のような前のめりなプレーは今の日本代表に求められるものであろう。

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