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2016.11.20 » 6か月 前

日本が誇る「中村俊輔」、代表で10番を背負った天才レフティの歩んだ軌跡


元日本代表10番・中村俊輔の輝かしい実績

shunsuke-nakamura

中村俊輔は、現在横浜F・マリノスに所属する元日本代表MFで、華麗なテクニックと左足から放たれる高精度のフリーキックを武器とした選手である。ポジションは主にトップ下と右サイドハーフを務める。セルティック時代、マンチェスター・ユナイテッド相手に2度記録した直接フリーキックにおける得点は伝説となっており、現在でもスコットランドに多くのファンを抱えている。Jリーグでは、2000年と2013年に最優秀選手賞を受賞している。

桐光学園から憧れだった横浜F・マリノスへ

中学時代までを横浜マリノスの下部組織で過ごした中村だったが、身長の低さなどを理由にユースチームに昇格することが出来なかった。神奈川県内の名門である桐光学園に進学するとその才能を開花し、オファーを受けて憧れのマリノスとプロ契約を果たす。余談ではあるが、この後からマリノスはユースへの昇格基準を見直したようで、現在では小柄なテクニシャンタイプの選手を数多くプロに輩出している。

マリノスですぐにレギュラーを掴み、セリエAへ

期待の大型新人として鳴り物入りで入団を果たした中村は、その期待にそぐわぬ活躍を見せ、1年目からレギュラー選手として定着。このシーズンのリーグ戦27試合に出場して5得点を挙げた。翌年にはハットトリックを達成するなど33試合で9得点と大暴れするなど主軸としての座を確かなものにすると、2000年からはプロ4年目にして名門マリノスの10番を背負い、チームをステージ優勝に導き、自身はJリーグ年間最優秀選手賞に輝く。代表としてはシドニー五輪本大会にも出場し、充実のシーズンを過ごした。この頃からA代表メンバーの常連となったが、2002年の日韓ワールドカップでは直前で本大会メンバーから落選させられるという苦渋をなめている。しかしその活躍は海外からも高く評価されており、2002年のシーズン途中にイタリア・セリエAのレッジーナへと完全移籍した。

イタリアで評価を高め、スコットランドの名門へ

レッジーナでも背番号10を与えられ、移籍直後からプレースキッカーに指名されると、初年度から32試合のリーグ戦に出場し、直接フリーキックやPKなどで7得点を記録。合計3シーズンでリーグ通算11得点をマークすると、2005-2006シーズンにはスコットランドの名門クラブであるセルティックに完全移籍した。スコティッシュ・プレミアリーグは、大柄な選手が激しくぶつかり合うという特徴を持っており、中村がこのリーグに順応できないのではないかという意見も目立ったが、そんな辛辣な前評判に反し、中村はこの歴史あるクラブのレジェンドとしての道を歩み始めることとなる。日本代表としても、ジーコ監督就任後に主力選手に返り咲き、2004年のアジアカップで優勝、自身も最優秀選手に選出された。この大会で決めたオマーン戦のアウトサイドキックによるゴールは語り草となっている。また、2006年のFIFAワールドカップ・ドイツ大会でも背番号10をまとい、グループステージ初戦のオーストラリア戦では得点を記録したが、チームはグループステージ敗退が決まった。

今なお語り継がれるセルティックでの伝説

セルティックデビュー戦となる開幕戦でスタメン出場を果たした中村は、この試合で得点こそ記録できなかったものの、抜群のテクニックやパスセンスを披露し、試合終了直前に途中交代を告げられた際には満員の観衆からスタンディングオベーションを受けた。たった1試合で前評判を覆し、信頼を得た中村は、このシーズンのリーグ戦33試合で6得点を決めた。

06-07シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグに初挑戦。予選グループで対戦したマンチェスター・ユナイテッド戦では、敵地オールド・トラッフォードで名手ファンデルサールを相手に得意のフリーキックを決める。セルティックパークでの再戦時にも、再びファンデルサールからフリーキックを決め、このゴールはセルティックを決勝トーナメントに導く貴重な決勝点となった。リーグ戦優勝を手繰り寄せる直接フリーキックを決め、年間ベストゴール、そして年間最優秀選手賞をも獲得したこのシーズンの中村の姿は、伝説としてセルティックファンの脳裏に焼き付けられることとなった。

スペイン挑戦、そしてマリノスへの復帰

08-09シーズンまでセルティックの中心選手として活躍した中村は、09-10シーズンから自身の夢でもあったリーガ・エスパニョーラに挑戦することを決意し、RCDエスパニョールに完全移籍した。セルティック時代に着用していた背番号25はリーグ規定によって取得することが出来ず、自身のキャリアで初となる一桁番号の「7」を着用することとなった。セルティックでの活躍はヨーロッパにも知れ渡っており多いに期待されたが、チームに適応することが出来ず13試合無得点と不振を極め、ワールドカップ本大会が控えているという事情もあり、古巣である横浜F・マリノスからのオファーを受け、8年ぶりにマリノスに復帰した。

ふたたびの挫折、そして完全復活

復帰初戦となる川崎フロンターレ戦では豪快なミドルシュートを決め、その左足が錆び付いていないことを証明するが、負傷の影響もありFIFAワールドカップ・南アフリカ大会では直前でスタメン落ちし、本田圭佑に主役の座を明け渡す形となった。後に中村はこの時期を振り返り「生き地獄だった」と語っている。計り知れないショックを受けた中村だったが、マリノスに復帰しコンディションが上向きになるとパフォーマンスが向上し、それに合わせてチームの順位も右肩上がりとなった。2013年には齋藤学の台頭やマルキーニョスらの活躍にも後押しされ、中村自身も新境地とも言えるプレースタイルを確立。トップ下の位置から積極的な守備参加を見せるようになり、伝家の宝刀であるフリーキックから何度もチームの勝利を演出。主将としてリーグ優勝まであと一歩のところまで迫ったが、33節と34節で連敗し優勝を逃した。最終節終了後に泣き崩れる姿は、Jリーグファンの記憶にもいまだ深く刻まれているものである。リーグ戦の敗戦から立ち直り天皇杯を制覇すると、自身二度目となるJリーグ最優秀選手賞を受賞した。以降のシーズンもマリノスの主将として活躍を続けている。

色あせることのないフリーキック

中村俊輔を語る上で、フリーキックを避けて通ることは出来ないだろう。若い頃から名手として名を馳せた中村だが、38歳を迎えた現在もその精度が落ちることはない。2015年には、浦和レッズの西川周作、ガンバ大阪の東口順昭、ベガルタ仙台の六反勇治という、当時日本代表に召集されていたGK3人からいずれもリーグ戦で直接フリーキックを決めたことでも話題となった。さらに2016年にも再びガンバ大阪戦で東口から、アビスパ福岡戦では韓国代表GKのイ・ボムヨンから直接フリーキックを成功させている。その精度の高さからバラエティ番組でも中村のキックをテーマとした企画が組まれ、動いているバスの窓の中にボールを蹴り込むという神業とも言えるキックは、動画サイトにアップされて海外のサッカーファンからも喝采を浴びた。

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