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2016.11.20 » 9か月 前

日本を代表するCB「ボンバー」中澤佑二のサッカーへの強い執念


元日本代表の「ボンバー」こと中澤佑二

yuji-nakazawa

横浜F・マリノスの元日本DF中澤佑二は、元々埼玉県の三郷工業技術高校のサッカー部に所属していた。当時は全くの無名選手であったが、プロサッカー選手になりたいという夢を捨てきれずに、ブラジルに留学。1年で帰国し、母校で高校生に混じって練習を行う日々。ある日、ヴェルディ川崎との練習試合が組まれた。中澤の高校時代からのサッカー部の顧問で、当時も顧問を務めていた村田先生が20歳の中澤を練習試合でセンターフォワードとして起用した。その試合で、打点の高いヘディングシュート決めた。試合後、ヴェルディ関係者に「実際には20歳であること」、「プロ目指していること」を伝えると、練習生として採用してもらうことになる。

ヴェルディ川崎の練習生時代

毎日、2時間をかけてヴェルディグラウンドへ通っていた。収入が無いため、母親に弁当を作ってもらって、お昼ご飯にしていた。

ある日、ヴェルディのトップチームとの練習試合が組まれた。当時のトップチームには、ラモス瑠偉、三浦知良、柱谷哲二、北澤豪など錚々たるメンバーが揃っていた。中澤の頭の中には、「日本代表のエースである三浦知良を抑えれば、最高のアピールになる」と意気込み、激しい密着マークで「カズ」を抑えた。数々の激しいプレーにカズは、中澤のボンバーヘッドを掴んで激怒したという。カズにしてみたら、公式戦前の調整の試合だったから、怪我をさせられたらたまらないという気持ちだったそうだ。ラモスのその日の試合のことを覚えており、後日「完璧に抑えられているカズを見て、大笑いしてしまった」と回想していた。この活躍もあり、翌年からヴェルディ川崎とのトップチーム契約を勝ち取る。

ヴェルディ川崎時代

開幕2戦目のセレッソ大阪との試合でデビュー。セレッソの決定的なシーンで体を張った守備を見せ、その後はレギュラーに定着。すぐにオリンピックを目指す日本代表に選出され、さらにA代表にも選出された。

日本代表〜現在

2002年の日韓W杯には落選したが、その後は日本代表に定着し、キャプテンも務めた。Aマッチ出場110試合は、歴代4位。現在は、所属する横浜F・マリノスでレギュラーとしてセンターバックに君臨する中澤。スピードこそ衰えているものの、その空中戦の強さ、対人守備での強さは今もなお日本トップクラス。私生活でも徹底的に体調管理を行うそのプレーはまさにプロの鏡と言える。

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